「アンコンシャスバイアス研究所」の設立の思い

一般社団法人アンコンシャスバイアス研究所 代表理事 守屋智敬
設立のきっかけ
一般社団法人アンコンシャスバイアス研究所は、2018年2月4日(ワールドキャンサーデー)におこなわれたイベントがきっかけとなり、2018年8月8日に設立することとなりました。
●2018年2月4日のイベント

がんになっても笑顔で生活できる社会の実現を目指して、様々な活動を有志によって運営するプロジェクト「LAVENDER RING」主催イベントで、「がんのアンコンシャスバイアスに気づく」と題したワークショップを担当することになりました。
これは、ご自身も乳がん経験者である武田雅子さん(現:アンコンシャスバイアス研究所の理事)からの声がけによるものでした。
実は、このオファーをうける背景には、
2017年4月に76才で帰天した、母(守屋博子)の存在がありました。
母は、55才のときに乳がんとの診断をうけました。
当時、ぼくが真っ先に思ったことがあります。それは、「母はもう、大好きな仕事ができない」「オシャレもできない」ということでした。いま思い返すと、それはまさにぼくのアンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)だったわけです。
ただ、それから幾度となく、息子であるぼくは、母の姿、母の言葉、母の生きざまに、「がんに対するアンコンシャスバイアス」に気づくこととなりました。
「がんに感謝して、がんと共に生きる」という講演活動を行ったり、金髪のウィッグを楽しんだり。天国へと旅立つ4日前まで、ザベリオ学園の理事長兼学園長として、子どもたちや先生方のことを気にかける母のその姿に、一歩踏み出す勇気をもらった気がします。
▲生前の母の講演動画です
母の生き方、あり方に影響をうけてきた僕にとって、「がんに対するアンコンシャスバイアスに気づく」をテーマとした講演オファーを武田雅子さんにもらったとき。これは、母から受け継いだぼくのミッションかもしれない・・・と感じ、お引き受けさせていただくことになりました。
それが、冒頭にお伝えした2018年2月のことでした。
このイベント登壇で何を思ったのか?
「がんのアンコンシャスバイアスに気づく」というテーマでの講演のあとに行われた、パネルディスカッションでは、アンコンシャスバイアスをひとつのキーワードとして、「がんと診断された当時のこと」や「仕事をめぐる自分や上司やまわりや家族とのコミュニケーションをとおして感じたこと」など、がん経験者と、その上司の方とともに語り合うというパネルトークが行われました。
「思い返してみると、実に様々な無意識の思い込みがあったように思う…」といったこと言葉が、互いに語られる時間となりました。
イベントが終了すると、何人もの方々が、「アンコンシャスバイアスという言葉を、今日、はじめて知ったのですが、ものすごく救われました。有難うございました」「アンコンシャスバイアスという概念を知って、心が軽くなりました」「少し世界が違ってみえるような気がします」など、口々に感想を言葉にしてくれました。なかには、涙ながらに感謝の言葉を伝えてにきてくれた方もいて。あの日のことは、今もずっと心に残っています。
そして、この日のこの出来事をきっかけにして思ったことがあります。それは、家庭や、職場や、地域社会などで生まれている様々な社会課題には、アンコンシャスバイアスがひそんでいるのかもしれない。だからこそ、この言葉の啓発活動は、誰かの何かのためとなり、救われる人がいるかもしれない。そう思うようになりました。
それまで、企業や自治体などで、「アンコンシャスバイアス」をテーマに研修や講演をおこなっていましたが、2018年2月4日のワークショップを担当させていただいたことがきっかけとなり、一般社団法人を設立する大きな原動力となりました。
私たちは同じモノをみていても、人によりその解釈が様々ということが多々あります。
アンコンシャスバイアスに気づかずにいたときの判断や言動が、ときに、相手を傷つけてしまったり、自分自身の可能性をせばめてしまったり…といったように、ネガティブな影響をおよぼすことがあるかもしれません。
アンコンシャスバイアスを知る、気づく、対処することで、一人ひとりの可能性が広がるきっかけになるとともに、ひとりひとりがイキイキする社会に、一歩でも、二歩でも、近づいてゆくことを願って、一般社団法人アンコンシャスバイアス研究所を設立し、多くの皆さんとともに、歩みをすすめていけたらと思っています。
一般社団法人アンコンシャスバイアス研究所
代表理事 守屋智敬