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  • 執筆者の写真アンコンシャスバイアス研究所

東北フィールドトリップ③~小学3年生から見る震災~



今回の東北フィールドトリップは、いつもと一味違った。

なぜなら、小学校3年生の「こうた君」がお母さんと共にこのツアーに参加していたからだ。


「子どもも一緒に学ばせてもらうわけにはいかないでしょうか?

こうたは、2010年にうまれて、東日本大震災当時は0才だったんです」

というひと言をうけ、大歓迎で、ご参加いただいた。



私が印象的だったのは、災害に強い安全なまちをめざして、山を切り崩し、高台移転をすすめているという説明をうけていたときのこうた君のひと言だった。


「それは自然破壊につながらないの?」


津波の被害があった地域の一部は、山の傾斜を切り崩して新たに住宅を建て、暮らしを再開していた。その説明をきいていたときの私は「そうだよね。被害があった所で、同じように心穏やかには暮らせないよね。」と思って、その風景を見ていた。


ただ、こうた君の視点は違った。人間目線ではなく、自然目線からすれば、「私達の木は切られちゃうの?森はどうなるの?山はどうなるの?私たちの住む場所は?」となる。その事に気づかされた一言だったのだ。


どっちの意見が良いか悪いかというのは、この話の論点ではない。大人とは違う視点を持つこうた君を、私は「すごい!」と尊敬したという事を伝えたい。


 

後日、こうた君は、1泊2日にわたる東北フィールドトリップのことを、作文にして、小学校に提出したそうだ。そして、そのメッセージは、学級通信に取り上げられ、多くの同級生の目に入る事となった。



<こうた君の作文>

特別に許可をいただき、その文章をここにご紹介させていただけることになりました。

心よりの感謝の気持ちをこめて…。





 

米沢さんが命をつないだ場所まで登ったこうた君。

この高さから見た陸前高田の景色は、今もこうた君の中に残っているのだと思う。



「命てんでんこ」で命をつなぐ。生き残った語り部が、知恵を語り継ぐ。


その言葉が、被災地を超え、年代を超え、こうた君の作文をとおして、こうた君の同級生に伝わった。こうた君の同級生の心に、東日本大震災はどの様に残ったのだろうか?


 

大人は、子どもより、長く生きているからこそ、経験値を持っている。だからこそ、先達として、教える機会も多いかもしれない。だけど、子どもから教わることも、山ほどある。社会人に置き換えてみれば、ベテランが新人に教える事もあれば、新人から教わることもある。



何がいいたいかというと、経験の長さではない。

お互いに影響を与え合う、人としての繋がりあいを築くことが大切だと言えるのではないだろうか。



このフィールドトリップでは、参加した大人たち全員が、こうた君を「子どもだ」とは思わなかった。「子どもはどう思うのか?子どもは何を感じるのか?」等との思いでマイクをむけることはなかった。こうた君がどう感じたのかを知りたいという思いにかられたのだ。



盛岡駅での解散時に、新しい視点を教えてくれたこうた君に感謝をし、別れをおしみ、再会したいと願う人が多かった。そこには、まさに人と人とのつながりにより、震災を共有する姿があった。


 

最後にもうひとつだけ、こぼれ話しを。

参加者全員から愛され、尊敬されたそんなこうた君だが、バスの中で、私はとってもかわいらしい悩みを打ち明けられた。


「いつ”ママ”から”お母さん”に切り替えるべきか分からない」


私はこうた君の友人として、「秒で変えろ!長引くと恥ずかしさが増すぞ!!」と、アドバイスをさせてもらった。果たして、彼は、「お母さん」と言えるようになっただろうか…?




【ライター】大谷まい(アンコンシャスバイアス研究所 事務局)

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